ghouten’s diary

mi amas mono.

アクアリウムの午後

金曜日に粗大ごみを捨てた。意を決して、長らく空間の肥やしにしていたいろんなものを出してしまった。劇的ではないが、少し部屋が広く感じられる。ほんと、捨てる行為は大事。あとこの「一週間前に捨てる品目を申し込む」というシステム、捨てる決心を後押ししてくれるので良いと思った。

調子の悪い万年扇風機。あまり中身が入ってない意匠ケース。壊れた座椅子のスケルトン。古いパソコンに繋いでたTVチューナーやサウンドボードや外付けDVD。ゲームキューブ本体。その他もろもろ。本体を捨てたということは、ソフトとメモリーカードももうじき捨てる。さらば空しき時間の浪費。でも 64DD はまだ捨てられない。あと残念ながら、申し込み時の漏れで、使ってない鏡を捨てそびれた。次は一ヵ月後となってしまうので痛い。

捨てる物を部屋の入り口付近に積み重ねておいて、一個ずつ収集場所に運んでいったのだが、部屋の中だとあんなに多いように見えたのに、外に置くとこんなもん、なのだ。やはり部屋は絶対的に狭い。それを頭に置かずに物を増やすから、こうやって身動き取れなくなるのか。

タブレットの替えが届いた。中古だが特に問題なし。にしても、タブレットを壊したことで、“クラウド”への認識がぐっと深まってしまった。確かに革命的だ。ログインしただけで、壊れたほうに入れてたアプリを再インストールしてくれたし、ブックマークもメールも共有ファイルも電子書籍も音楽もみんなクラウド上にあって瞬時に取り寄せられるのだった。取り寄せるという感じですらない、内蔵ドライブよりちょっとタイムラグがあるだけだ。物を替えたのに、替えた感じがしない。PCを買い換えたときのような、環境作りやデータの移動の膨大な作業がほとんど無くて。調子に乗ってAmazonMP3で買い物したりもする。これもCDの時の「物を買いに行ってリップしてエンコしてメタ情報付けて・・・」を無くしたのに加えて、やはりクラウド化によってデバイス間でコピーするという作業まで無くしてしまった。クラウド恐るべし。頭が前時代で止まっているから、こんな便利なものだとは気付きもしなかった。タブレットを壊したことは、本当の意味で、いい授業料になったと思う。

一番の損害かもしれない、失われた写真だって、オンラインストレージアプリでただ「はい」を選んでいれば自動バックアップ機能があったのだ。写真をアップロードすることに抵抗感があって「いいえ」を選んでいたが、これが裏目に出た。見られたくない情報はさっさとPCに移し、クラウドに残さなければいいだけだな。

あとは真夜中の書類整理。正確な年収はこれか。暑いのは割と平気な寒がりさんだから、夏より冬の電気代ガス代が高い傾向か。携帯を無料通話+くりこし枠内でうまくやりくりしてる謎テクニック。

朝になって食事してから何度か半端な仮眠をとって、扇風機代わりのサーキュレーターが届いたのでさっそく設置したり風呂掃除したりする労働。風邪気味なのか腹の調子がいまいちすっきりしないので、お昼はパスかな。パスタかな。