ghouten’s diary

mi amas mono.

父の誕生日をGoogle検索

ずいぶん長らく放置してた、というよりほとんど意識の外にあったわけだが、とても変な時間に起きてしまったので思うことをつらつらと、だらだらと、書いてみようかと思う。

前回書いたのは2月。全ての始まりでもないが、大きな節目のときだった。そこから数え切れないほどの色々なことがあって、ジェットコースターのようになっていたが、ようやく落ち着いてきた、自分の方向に風が吹いてきた、と言えるまでになったわけだ。

ずいぶん涙もろくなった。自分の不甲斐なさに泣いてばかりいると思ったら、「劇的ビフォーアフター」レベルの感動でも涙を流している。この人たちは幸せになって欲しい、絶対失敗しないで欲しい、と思いながら見ていて、見事大成功したときのそれだ。「天井裏が一番落ち着く家」非常に綺麗な話だった。常に笑顔で居ることと、日々の仕事や趣味に忙しくしていることが福を呼ぶ。

ゴミゴミした都会にあって、空と無言で語り合う場所を無くすのは、正直残念な気もする。ただ、それを取っても余りある、風と陽光を取り込める工夫があれば。素晴らしい決断と言えよう。

我が心に残る風景は。まずは夕日。記念写真を撮ったあの夕日も、赤く染まる平原の空も、木の柵で囲われた道から見る空も。青空と池。見晴らしの良い丘の上から次々出発。なぜかピクミンのコース選択BGMを思い出す。横殴りの嵐、ハザードの列。ペプチドの列?

おそとの光を浴びよう。

新陳代謝をする。古いものを捨てて、ものと一緒にしがらみも捨てて。やはりモノには、人の思いとか記憶とか、そういうのが宿ってしまうのだと思う。つまらない過去とはオサラバするに限る。で、捨てた分あれこれ新しいものを買って、少しだけ自分が素敵で偉く強くなったような気持ちに浸る。ひょっとしたら、買い物依存症の気はあるかもしれない。まあこれまでも、時間に困ることは多くてもお金に困ることは少なかった。少しだけ、時間をお金で買っても悪くは無い。

どうしても、年のことは考えずには居られない。このまま腐り果てていくのか、それとも自分だけでは想像できなかった方向へと変わっていけるのか。ここまできて、正直どうなりたいのかどうしたいのか、ますます分からないのだ。「あの雲のように生きたいとか、水面の波紋のように生きたいとか、そういう類?」「・・・」「ま、沈黙もまた答えね」なんてBPSの一場面を思い出してる。探し物はなんですか。

つくづく、このパスワードというシステムにはイライラさせられる。いくつものパスワードを確実に覚えて、なおかつ定期的に更新する人間がいったいどれだけいるというのか。全世界で一万人は居ないぞ。この世界がほんの少しだけ違っていて、別の認証システムが当たり前だったら、きっとパスワードシステムは「銀河ヒッチハイクガイド」の馬鹿馬鹿しいエピソードの一つとして登場していたことだろう。

おかねの管理はややこしくしたくないのだ。でも、賢い資産運用にも手を出してみたいのだ。もっと洗練されていたいのだ。

酒の場で聞かれて苦しんだが、やはり高校大学の頃のことはあまり思い出さないほうがいい。人の温かさが、自分を少しずつだけれど、良い方向へと導いてくれた。人の温かさに生かされているのだ。伝説の時代に回帰するのは自分の道ではない。伝説に裏付けられながら、現実に生きてゆくのだ。きっと。

やはり旅が趣味だったのだと思う。乗り鉄寄りの旅行趣味だ。移動しながら読み物をしたり音楽を聴くのが良い。あと、ほとんど経験は無いが実は山も好きかも知れない。山が恋しい。始めてみようかな。あと、ペーパーライダー、やめてみようかな、2020年まで生きていれば。そして、2021年まで生きていれば「まどか☆マギカ」を見るのだ。さて。それまでの、繋ぎの趣味が欲しい。

世間話に適当に相槌を打つハブ・ア・ハッピー・ハロウィーン。他人の人懐こさに答えられるだけの人懐こさを持てるか。他人の厳しさに答えられるだけの厳しさを持てるか。面を増やせよ。「性格を変える」は間違いだ。性格を多面化し、深みを増していくのだ。ある種の免疫機構を鍛えるのだ。レセプターを増やすのだ。すべての隣人を師あるいは材料とするのだ。

だいぶ脳が疲労している。あるいはもう眠くなり始めてる。ここらで打ち切ろう。制限時間も30分切ってる。

季節移り 目で醸し出す ドーパミン