Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

ghouten’s diary

mi amas mono.

想像していたよりもずっと論理な夜

 土曜日の朝は夢を見る。ラッシュ時の駅構内。なぜか自転車を持っていかなければならない。ばらして輪行バッグに入れられるタイプじゃないらしく、立てて運ぶのだ。ホームへ上がり、最後尾の車両に乗ろうとするのだが、なかなか列が進まない。やっと乗れたと思ったら、今度は後ろの人がなぜか続けて乗ってこない。様子を見ると、行列の先頭にいる二人組のDQNが駅員と口論をしているのだった。あれこれわめいて、切符を買うのに5分も並んだ、だったか、つまらないことをいかにも大変な労力を使わされたみたいに非難する。すると行列の後ろでこれを見ていた若い女性が思わず「ダサイ・・・」と一言。人々が口々に「ダサイ」と呟き始め、しまいには「ダッサッイッ!あ、そーれ、ダッサッイッ!」というわけのわからない大合唱になる。いつの間にか、自分はそれを電車の中からではなくテレビの画面で見ていて、ダサイがヤサイに変化していき「ヤッサッイッ!あ、そーれ、ヤッサッイ!あ、そーれ、ヤッサッイッは、ビタミンC!」と、実は野菜ジュースのコマーシャルでしたという。
 
 連続で夢を見る。居酒屋でひとり夕食をとっている。テーブル席でいろいろ頼んでそそくさ適当に済ませ、会計して帰るつもりでカウンターに。カウンターの隅には、カレンダーだかプリントゴッコだか、何か売り物が、いかにも売る気がなさそうに適当なポップを貼られて置いてある。店員のお姉さんに、そのポップに書かれている数字、dpi だか、の計算が違うのではと指摘する。店員が電卓を叩くと、およそ7.000という数字が出てきて、なるほど計算途中の係数が間違っていたらしいことがわかり、「チーフ!チーフ!」と慌て始める。ところで何しに来たんだっけ。なぜか自分の前には、突き出し的な小料理が出されている。美味しそうだし腹には余裕があるので、あまり考えず手を付けてしまう。横のほうでは、自動車関係という男が店員と、混雑で電車に乗れなくて歩いてきたみたいな話をしている。
 
 水曜日だっけ木曜日だっけ、伊勢志摩サミット、厳戒態勢の中で伊勢神宮に各国首脳が続々到着、の生中継を見た。さすがアメリカはキャデラック・ワンを空輸してまで使うのか、などとつまらないことに感心する。あのでかい車じゃ、途中ですれ違えない道とか曲がれない角とか無かったのか。それにしても、この前に天皇皇后両陛下のどこかでの御公務の生中継を見た時もそうだったけど、スペクタクルを期待するような気持になる自分が怖い。つまり具体的には要人が生中継中に暗殺される、そしてそれをリアルタイムで見てしまうことを想像し、心配というよりも期待に近いドキドキを覚えているのだ。でもこれ、少なからぬ人が同じことを感じているに違いない。平和への退屈と、テレビの向こうの事件への期待はみんなが多かれ少なかれ持っている。きっと平和に退屈した観衆の欲求と、テロリストの承認欲求が共鳴しあうとき、想像を超える事件が起こるのだ。「十万分の一の奇跡」の人為的多重衝突事故のように、秋葉原の通り魔事件のように。
 
 ホームページを約5年ぶりに更新した。更新したというか、もうきっと更新しない宣言を書いた。ほぼチラシの裏なんだけど、完全なそれではなく、ささやかながらも資料的な価値が存在するから、削除は回避し続けるし、もしサーバースペースがサービス終了するようなことがあれば、どこか移転先を探すかもしれない。でも、Twitter やブログとの積極的リンクをしてまで生存証明をしたいとまでは思わない。もはや過去のものなのだ。作業自体も、もうFFFTPもローカルのファイルも行方不明なので、ブラウザ上の管理画面でダウンロードして更新する。この、こだわりのなさ。ずいぶん遠くへ来たもんだ。
 
 録画の整理。タブレットのカメラで、絵になる場面は写真を撮り、山場は動画で撮り、元の映像は削除。こういうスクラップブックじみたラフな残し方も、いいのではないでしょうか。いつか本気でしっかり見たくなったら、DVDを借りればよい。そして、そういう時はきっと永久に来ないのだ。だから印象的な断片だけを手元に残す。断片自体も精密には残さず、手がかりだけを残す。詳細は頭が記憶するのに任せる。こだわりのなさ。ずいぶん遠くへ来たもんだ。
 
 無意識によるリンクの発見というのは恐ろしいもの。数日前から「あずさ2号」の「狩人のお二人」というフレーズが妙に引っかかっていたのだ。どこかで見た名前。でも、この中に居たよなと思った80年代オムニバスには該当がなく。何か気になっていた。今日、唐突に「2355」の「ディオファントスの一生」のことを思い出す。自分は方程式など立てる前に、というか問題を全部聞く前に直感でぼんやり分かってしまったのだ。だって「一生の12分の1」「7分の1」という二つの情報が出てきた時点で、これらの公倍数84が連想されてしまう。168歳とか252歳いう可能性も無くはないけれど、いや無いから普通に。欠陥問題だ。などと。さてこの「ディオファントスの一生」をぐぐってみると、なんとこれが「狩人のお二人」だったのだ。狩人って誰だろう、ユーフラテスのメンバーだろうか、などと思いながらそのとき「狩人のお二人」というナレーションを聞いていたのだ。まさか繋がっていたとは。曲調も声も似ていないから、知ったところで依然半信半疑ではある。それはともかく、問題は、無意識がリンクをあぶりだしたことだ。適切な回答を、勝手に記憶の中から見つけ出してきたのだ。恐ろしい。
 
 やくざな職業、かたぎな職業ってなんだろう。20代30代で一財産作ったが早々に第一線を退かざるを得ず不安定な残り数十年を底辺這いずり回るスポーツ選手や歌手芸能人はやくざなのだろうか。金で買われて/飼われて変わり映えのない仕事を40年続ける会社員や公務員はかたぎなのだろうか。どちらも必死に生きてるし、どちらも歳を取るほど退屈そうだ。なぜ40代50代でチャラにしてまったく新しいことを始めたらいけないのか。転職というより二度目の就職に近い、経験を生かさない仕事を選んだらダメなのか。新人でも高い給料が必要だから?社会規範、成長志向に反するから?いや、そもそも労働ってなんだ?買われる/飼われることに対して評価され対価が支払われているのか?一方で変われることには大した価値がないのだろう。思考が迷子。考えすぎると死に至りそうなのでやめたほうがいいタイプのあれだ。
 
 まったく日が長くなったけど、雪駄履きで日没ドライブに出かける土曜日。片道30分もしくは40分という、気分次第で二択もできる程よい距離と、途中に島のように存在する交差点・速度制限による絶妙な緩急のリズム、そしていつでも空いてる道路。音楽を聴きながら行けば、おおよそ往復でアルバム一枚が鳴り終る。行きは夕日を追いかけて、フロントグラスに広がる空の色の変化を楽しむ。食料の買い出しをして、帰りは暗闇の中、右手に相模湾の波が鳴っている妄想をする。最高じゃないか。いまだに、ここを超える気持ちのいいドライブコースを見つけることができていないのだ。
 
 レジの店員によくわからない質問をされてよくわからない回答をして、これぞ没コミュニケーション。帰り道の途中、何もないところで妙に前の車が止まると思ったら停電。信号が消えてて、そういえばあたりも真っ暗。一人で声に出して「停電じゃね?えっ、これ停電?停電じゃね?まじ、停電じゃん?停電じゃね?」みたいな間抜けなことを言う。誰に言われるでもなく、みんな気づいて交差点ごとに一時停止するのだ(慣れているのか??)。こちらは初めてのことでキョロキョロしながら、周りに倣って一時停止する。よくわからないことに、町の西半分だけが停電なのだ。送電経路が分かれているのか、はたまたシムシティのごとく発電所からの距離が遠いほうから停電していくのか。
 
 まじめな話、少子化が問題なら、あれこれ考えて金を使うよりも夜間の計画停電をするほうがよっぽど早い。CO2排出も減るし、蓄電池や蓄電池になる電気自動車の産業も伸びる。いいこと尽くめだ。
 
 やっぱり大学というものを憎んでるんだと思う。一定レベル以下の大学なんて、ごっそり廃業させたほうが世のため人のためだ。勉強したい人、就職したい人を守るためなら、高校を強化しつつもっと柔軟にすればいい。それで、高卒でもいろいろな職業につけるようにすればいい。高校は単位制に近い形にして、3年制にこだわらず、自分が納得するまで最大6年くらい居られるようにする。モラトリアムの前倒しを図ればいい。予備校も職業専門学校もFラン大学も高校に吸収してしまい、全体平均的には教育費削減ならびに就職と結婚を早めることを図る。あと付帯効果として、現役女子高生が増えるよ、やったねたえちゃん。
 
 
帰省して 急くと芽吹きし パラセクト