ghouten’s diary

mi amas mono.

1/4(日)

9時過ぎには出発する。歩いていこうと思ったのに、駅まで祖父が送ってくれる。

先日読んだ本の「この国はすでに目標を達成してしまった。いまだ次の目標を見出せずにいる」という部分ともリンクするのだが、祖父が「このへんも、みんなビルになっちゃっただろ。もう作れるものは作っちまったんだ」とぼやく。まさにそういった時代の流れとともに生きてきた、歴史の証人の言葉だ。重く、そして悲しい。我々若い世代は「再開発だの何だの、まだまだ賑やかな話題が多いじゃないか」と感じるのだが、それは希望に溢れた時代の感覚からすると「違う」のだろう。そしておそらく、その古い感覚のほうが正しいのだ。一つの時代が終わったのだ。

川崎大師に寄るか迷うが、駅では例の飴を売っていないようなので、寄ることに決める。三が日を過ぎていて、なおかつ午前中の早めの時間ということもあってなのか、ほとんど待たされなかった。参堂は人が多いものの流れており、賽銭箱のところで人の壁が二重三重になっていただけだ。どちらかというと帰りの、大師線から京急本線、京急から新幹線の乗り継ぎタイミングが悪く、そこで長く待たされる羽目になった。

大師線の電車、いつの間に世代交代したのだろう。最近まで片開きドアのアレじゃなかったっけ。というか本線の各駅はそれが現役なんだけど。

あとパタパタ回転する駅の列車案内。すでにLED式のほうがコストも信頼性も扱いやすさも上なのでは、と思うのだけど、何かこだわりがあるのだろうか。個人的には、見た目がシャープで美しいし、職人魂や風情みたいなのが感じられて好きだけど。

静岡までの下りに乗ることも珍しければ、品川から乗ることも珍しい。武蔵小杉のあたりから、早くも富士山が見える。あのあたりの新しい高層マンションに住み始めた人たちも、阿呆みたいに「富士山だー」と言ってるのだろうか。FM横浜は面白いことに、FM横浜なのに横浜市を抜けたあたりから電波良好になる。

車内のニューステロップ、同じニュースでも新聞社によって随分違って面白い。一社は「大阪・箕面の郵便ポストで大量の汚れた郵便物が見つかる。ポストの口から焼肉のタレなどが流し込まれたと推定。」みたいな言い方、もう一社は「大阪・箕面で郵便ポストに焼肉のタレなどが流し込まれる。郵便物が汚損。警察が調査。」みたいな言い方だった。前者は事件の“発見”の状況を時系列で、後者は事件の“発生”の状況を時系列で述べているわけで、ちょうど文章の流れが逆になるのだ。それはともかく、個人的には後者のほうが、警察がちゃんと働いてくれている感じが伝わり、安心感が持てると思った。

結局なんだかんだ、帰着は12時を回ってしまった。送ってない人からも年賀状が届いていたので返信。ねえ、この風習、意味あるの。いまだ何らかのメリットを感じたこと無いんだけど。ましてや、離れている人だって簡単に連絡が取り合える世の中だよ。

年賀状出しつつスーパーで買出しして、布団類を洗濯して、米炊いて、食べて、だいたいそんな感じ。なんだか目が痒くなったのだが、ハウスダストだろうか。目薬を点して、窓を開けて換気をして、いつの間にか直った。